……最終的には、全方位から潰していった気がする。

ん〜……まだダメかな?
まだ、『上映期間内でのネタバレは禁じられている!』(by安堂ロイド……あれ?)ってところですか?
いやいや、SPECじゃないんですよ。そっちじゃぁ、無いんですよ。そっちじゃぁ、無くて、ネタバレうんぬんってなると……ねぇ?


どのみち、ルパンvsコナンにはあんま期待してないし(誰も、そんな話は聞いてない)。
今年のTBS系作品の劇場版の「二大まどか」の一方の話ですよ。とかなんとか。
ぼやき場の方では……
一応、固有名詞をとっかえひっかえして、可能な限りぼかして、ネタバレ回避をしたつもりではいるんだけど、ネタバレ回避になってなかったら、どうしようかね?
いや、まったくもって、その辺りは考えてないのですよ?
とはいえだ。ガチのネタバレをしていても、スルーされてたら関係ないか、とかむちゃくちゃなことをぼやいて、本題に入ってみますか?
ただ、何処までそのままを書くかってのは、おれのさじ加減って事で。


まぁ、何をさておき、おれはバカですから、あの話を理解するのに、四周しなきゃなんなかったわけですよ。
んで、実際には、六周してるけど、残りの二周は……自分が見つけた答をぶちこわせるナニカを探しに行ってたんだけど……
それが空振りに終わったのは、ぼやき場でも書いたような気がする話。

とりあえず、序盤戦。

さて、どっから……とっかかろうかね?

まずは……チーズの食らいボムの後。ラズベリーとかぼちゃのやりとりのところで、かぼちゃが挙げた『在り得ざるモノ』の数とその内容。

あの世界において、というか、改変後の世界において、メロンって居てはならない存在なんだけど、そのことをかぼちゃは指摘しなかったことが……ね。で、その後の、公園の花畑のシーン。

当然、ここも引っかかった。
あの場面で、メロンがかぼちゃの髪を三つ編みにする場面が、どうしても腑に落ちなかった。まぁ、これについては最終的に、説明できそうな単語が見つかったんで、おさまるところにおさまったように感じてはいる。
確かに、観ている側としては、最初からその姿で登場しているわけだから、その姿に、って事なんだろうけど……
だとすると、ちょっと腑に落ちなかったんだよね。その直前のお茶会のシーンでは、既にかぼちゃの姿は、本編周回時のそれになっているわけだから。そう言う意味合いでは、少しずつ歯車の噛み合わせは狂い始めてた。

で、次に気になったのが、ちょっと遡って、かぼちゃが、りんごちゃんに相談を持ちかけるシーン。その直前で、異物のように突然割り込んできた、ストリートオルガンを奏でる使い魔の存在。ただ、この時の使い魔というのは、その楽器の演奏で、子供達の注意を引きつけていたように見えたのね。

その後、この登場していた『ならぬモノたち』というのは、一通り再登場するけど、この奏者だけは、登場して無いように見えたんだ。ナイトメアだって、先導するモノのように顕れるにもかかわらず、ね。で、それが気になって、周回を重ねた事で、一つの鍵ではないのか? という理解になった。
この鍵というのが、ぼやき場の方で、しばらく使いまくっていた『子守歌の歌い手』って存在についてなんだけどさ。
ただ、この存在については、明確な答を出せずにいるのさね。まぁ、与えられている鍵だけでは、物語の外の存在(≒『デウス・エクス・マキナ』)と成りかねないので、できることなら排除してしまいたいんだけど……
その位置に座っていてもおかしくないキャラクターが居るもんで、完全には排除できないと。んな状態。
ここまでが、二周目までで引っかかっていた部分かな?
正直、『事実』が発覚してからの流れを怒濤に感じたので、序盤の周回では飲まれる一方だったのは事実なのよね。


それ以外だと、ぼやけた人々の顔と、そうでない人々の違いか。ただ、これについては、振り回されたって事だけは、明確に覚えてる。終盤で、かぼちゃが口にする言葉に、どっか関係してる人々であったことが影響してね。
あと、忘れちゃならない、糸巻きを足蹴に、主を責め立てる子供たちの存在。この辺りについては、なかなか納得できる答を見出せなかったんだけど、全体を通したその言動が、その答に導いてくれた。
おそらくは、『糸巻きを足蹴にすること』への答は『それが彼女の望む形ではなかった』こと、『主を呵責する姿』は『すぎた自省』というね。


けど、この段階では、まだ、アレだね。
終盤で描かれたことは、『事実』なんだと思ってた。

中盤戦。

さて、三周目以降では、一歩引いた見方ができるようになってきた。そのため、一気に疑問が吹き出すようになるし、また、「この演出は、そう言う意味か」と理解できるようになる要素も出てきた。
まず、開幕。ふと、登場するアイテムが気になって、確認したら……物語が、また違う姿を見せ始めた。
この辺りからだわ。思索の多重多層迷宮に囚われ始めたのは。
OPでの演出に先駆けるように、『それ』を暗示させるカットが、いくつか挿入され、二人のモノローグが交錯し、窓が閉ざされて、物語が始まると。
で、こっから、OPになるまでの部分で、引っかかるところは特になかった。いや、引っかかる部分があるとしたら、洗面所のシーンか。あのシーンで、身だしなみを完成させた詢子さんに、まどかが、転校生が来ることを告げている事、にね。
これについては、五周目で意味を理解した。
さて、で、OPになるけども……
このOP。一周目では、その全容を掴みきることが出来ない造りになってる。おっかないことにね。
じゃ、二周したら、全容を理解できるのか? ってなると……どうなんだろ? 物語の咀嚼が完成していれば、全容が掴めるのかな? と。
今回の新編って物語全体を通して、そう言う傾向の台詞が多いんだけど、『二つの意味』を持つ台詞・演出が、とにかくやたらめったらと仕掛けられてる。それも、真と偽の意を持って、ってんじゃなくて、真と事の二つの意味を持ちあわせてるもんだから、とにかくややこしい。どっちでも捉えることができるし、また、どっちで捉えても、齟齬というか、矛盾が少なくなるように、とにかく丁寧に編み上げられてる。まぁ、だから、『多層多重迷宮』って呼び方をしたんだけどさ。
閑話休題
まぁ、この辺りについては、考えすぎ、って見方もあるかもしれないけど、一番気になったのは、『塔』を塗り替える女神の干渉、かな? あと、背景が『テーマパーク』から離れてない事の意味。
で、OPの締めくくりにやってくる、砂と化す幻。これらが、なんか、『新編』の本筋に絡みついてる気がして、どうにもね。

三周目の段階では、『月』が「『刑死者』の世界」に入り込めた理由が理解できた。んだけど、今度は、「どうして、『月』がそうする必要を感じたのか?」が理解できなくなった。

少なくとも、あの世界線においては、敵対的な位置に互いにあるとは考えにくいし、また、そうなる理由が弱く、と言うか、皆無になってると思う。なぜなら、本編周回おいて、決して友好的な位置に立ち得なかった最大の理由は、彼女たち二人の目的が、完全に対立すること*1になっていたわけなんだから。

これに関係して、『戦車』が消火器を使う理由も、同時に見えなくなった。これも、先と同じように、原因があって結果に繋がるという、因果律の基本から考えると、『有り得ざる行使』に思えてね。

まぁ、これは見終わったあとの話になるけど、「『悪魔』の解説に誤解が含まれていたらどうなる?」って考えが頭を過ぎったのね。

前作、というか、テレビシリーズ版で、万能とも言えるその技術力をまざまざと見せつけられてて、つい全能なんじゃないか? と思い込みそうになったけども、だ。
あと、『悪魔』が狼狽したことも気になった。
前作やテレビシリーズ版の第三話、第九話、あと第十話もかな? を思い出せば、何を言いたいのか判ると思うけど、
連中は、喪うことになっても、それを補って余りあるメリットがあるのならば、「見殺しにする」と言うカードを切れる連中であると言うこと。そんな態度を取れる連中が、何故か、狼狽するシーンが二つほどある。

まぁ、どちらも、その気になれば多数在るであろうguinea pigが一体喪われようとする程度でしか無いはずなのに、だ。

こうなると、今度は、別の要素が、これに有機的に結びついてきたんだ。

まず、破滅的になりすぎてる『女教皇』に、『正義』の言葉。この二人について、「もしかしたら、世界の主の『ナニカ』が反映されてしまっているのではないか?」と。

まぁ、実際に四周目を見終えるまでは、「まだ『事実』が残っている」って認識があったので、四周目を見た時点で朧気に感じた、『走馬燈なのでは?』って考えは、穴を掘って、埋めてしまってる。

けど、『そこ』が『そう』であったように、また『幻の外は現実』という認識も実は思い込みで、「『現実』と錯覚していたら?」って考え始めてしまい……ついには、『(客観性を持った)事実』と『(主観性しか持たない)真実』の境界が、曖昧になっていることに気がついてしまって、そのまま、『ナニカ』とは「願望めいたもの」ではないか? って疑問に化け、試しに、それを導入して、物語を再度見直してみると……

それまでの理解では、所々に潜んでいたはずの矛盾が、まるで、律ちゃんを前にした、増殖したはるかさんの群れのように、一気に解消されていくのが見えたのね。
いや、この時は、愕然としたよ。かってに破片が集まって一つの形に組み上がっていくんだからさ。
まぁ、それ以外にも、『対立という要素は、目に見える(≒判りやすい)要素でしかないのか?』って事も頭に浮かんじゃってたから、ね。これらの影響で、一気にまとまっていったんだけど。

終盤戦

さて、ここまでは、物語を理解するために、必死であがいて、かき集めて、かみ砕いて、って事をやってたその結果、一つの答が出た。けども、どうしても、その答を認めることができない。だから、壊せる要素を探そうと五周目に行ったんだけど……
まぁ、結果は言うに及ばず。壊せる要素を見つけるどころか、磨く要素が見つかる始末。

その中でも最大級だったのが、物語の終盤で、ラズベリーが、かぼちゃに向かって、「このことだけは忘れない」と言い放ったところ。これを明確に、願望の露出と定義した途端に、劇中で『招待された』と評された人物の意味合いが、百八十度変わったんだ。

それまでは、劇中で語られた言葉を元に、かぼちゃにとって幸福と思える世界を構築するために必要な人材、と認識していたんだけど、「願望の露出」を踏まえると、『蒸発・失踪することを避けられない自分たち』を『覚えていて(≒実在したことを証して)ほしい人々』だったのではないか? と。

確かに、あの人物群の中に、チーズやりんごと関っている人物は居ない。けど、この二人を知る人物に、かぼちゃが接触したと思われる記述は存在しないし、かぼちゃ自身も、チーズの縁者の存在を辛うじて知るのみであり、りんごに至っては、あの世界線において家庭が崩壊したかどうかすらも怪しいわけだから。

となると、あの七人には、先の二人を除いた三人、ラズベリー、かぼちゃ、メロンと関わりのあった人々、という共通点*2が見出せる。
この共通項を見出した結果、一つの疑問が生まれた。
「彼女は本当に招いていたのか?」という疑問が。

まぁ、この疑問については、ずっと引っかかっていた、チーズの実像を知るともらした『まぁるいケーキが好きな子』の知識にも関るので、何らかの答がほしいところではあるけども。

現時点における、最新の仮説。

既に書いた話ではあるけども、だ。
以前、というか、前作でまどかが行った救済の形も含めて考えると、
「すべては、彼女が望み、それに応えた誰かが描いた夢である」。
と言う仮説に行き着いた。実際には、他にも、いろいろと考えて組み立てたり壊してみたりした結果なんだけど。
ただ、この結論に行き着くため、というよりは、可能性を潰すために考えていたことってのが、まぁ、多すぎてね。枝葉を落としていった結果が、こんな飛躍したような仮説に繋がったんだけどさ。
ただ、ね。まぁ、その一方で、まどかユニット終焉の可能性も考えちゃったんだけどさ。

「彼女が、自分にとっての『特別』であるように、自分も彼女にとっての、また、誰かにとっての『特別な存在』になりたい」と願ったのではないかって事を念頭に置いて、物語を読み直してみれば、割とすんなり読み解けるんじゃないかな? って思っただけのことなのさね。

*1:同一人物への関与が、方や勧誘にあり、方やその阻害にあったわけでね。

*2:改変後の世界線においても、りんごには、ラズベリーとの何らかの関係性があったことをうかがわせる言葉をもらしている。