コメントとするには、発散しすぎてて……

遠距離応答……それもどうかとは思うけどね……(汗)
えーっと、『最後の境界を目指して』にまつわる反省会は、終わったころに、改めてやりますが……
取り敢えず、こう言いたい人もいるかも知れないので……言ってみるかと。
どこが、分量少なめで、書いてる最中に、魔導4が3や2になる程度だ? 気がつけば6週間書き続けで、挙げ句の果てに、賢者になってるじゃねーか! 責任者出てこい!
とかなんとか……一応、来週からのパートは、ラストパートにする予定なんで……ってハロウィンまたぐな……(瀧汗)
さりとて、話題は翻って。
前に書いた、「『ラルフ・ブライアント』まーだー?」って催促にまつわるネタなど。
改めて、数字として提示されると……ドラゴンズ。良い外人を手放しちゃったなぁ、って。向こうでも書かれているように、当時の中日には、投では守護神・郭源治*1、打ではゲーリーという二枚看板が定着していたため*2に、ブライアントは来日シーズンでもある88年は、二軍でくすぶるしかなかった状況なわけです。で、こっから先は、その88年を最後に、二度も大決戦と呼ばれるシーズンをつくりながら、99年まで勝ちきれなかったドラゴンズを知っているが故の妄想ってことで。
歴史にifが無いことは、皆が知っていることなんだけど、もしも、ブライアントを手放していなかったから、ドラゴンズは、もう少し勝ててたんじゃないのかなぁ、とかなんとか。

でも、この80年代〜90年代初頭って……俺の人生のなかでも、一番、精神的に荒んでた、というか、病んでた時代だから、あまり良い思い出ないのよねぇ(遠い目)。
電話に対する恐怖症*3が根付いたの、この時代が影響してるし。酷いもんだな、まったく。

*1:守護神としては牛島の後継者的存在になった

*2:wikipediaから辿っていく判るように、「燃えよドラゴンズ」の87年版、88年版に「3番ゲーリーイムリー」との歌詞がある。

*3:この影響で、icqのような、IMの類いは、ほとんど使えない