物差しから外れてしまっていると……

http://d.hatena.ne.jp/Leigh/20070131/p1

よほどの非常時でもない限り、最低限の物差しすらできていない新兵は、投入されないし、とかなんとか。戯言など。

ネタ元をみて、真っ先に思ったのは、ヒトの精神的防衛機構の一つに、自分の理解を超えた事態に遭遇したとき、笑うことで平静を取り戻そうとする、と言うのがあったような気がした。
ここで重要なのは、「笑ってしまった」と言う状況の意味合い。

Leigh氏の発言と重ね合わせて、考えてみると、
背筋が凍る、つまり、戦慄できる時点で、相応の経験を有し、感覚という物差しを持っていると言いかえることができる。でも、こういう言い方をしていると、「誰でも持っているモノではないのか?」って意見も出てきそうだけど、戦うこと、つまり、命のやりとりから遠ざけられている今の日本において、この感覚は、忘れ去られることはあっても、育つことのない感覚だと思う。自分から、学ぼうという気概がない限り。

そう言えば、こんな言い方もあったっけか。
「初心者というものは、自分が『初心者』であるとの意識すら持っていない」って。「『何が判らないのか?』すら判らない」なんて言い分もあるしね。要は、そう言うことなんじゃないかなぁ、と思ってみる如月の朔日でございました、と。