干支は、一回りしたんだね……

1995年1月17日。午前5時46分。普段ならまだ眠っているこの時間帯。不意に目が覚めると、それから程なく、四日市でも、震度4を観測する揺れが発生。
その時は、まだ、それが、後に甚大な被害に繋がる、直下型地震だったとは思いもせずに、揺れたら、情報、とばかりにNHKにチャンネルを合わせていた。
……この時点で、気付いていなければならなかったのかも知れない。
埋まっているのが当たり前の震度速報が、ドーナツのように震央付近の震度情報が欠落していた異常さに。

大学からの帰路。ふと眺めた画面には、燃える街が映っていた……

今日は、そんな日から数えて、12回目の『1月17日』です。
その事を思い出して欲しくて、こんなことを書いてます。

安否情報を流すのなら、淡々とおこなってください。安易な画面構成でむやみに不安を煽るような真似は止めてください。
『あの夜の中、燃える街を背景に、死者・行方不明者の名前が流れていく』様は……トラウマになります。悪趣味でしかありません。

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