昔に言われた言葉をかみしめてみる

何度か言及したかも知れない、セラムンでの二次創作。これは、I-NETが、一般的なものじゃなくて、未だ、パソコン通信が全盛だった時代に、とある草の根BBSに上げたことがあるんだけど、それを読んだ御仁だったか、オリジナルを見せたときだったかに、『神林長平に雰囲気が似ている』と言われたことがあった。
その頃は、俺が読んだことのある氏の作品は、「敵は海賊」シリーズぐらいしかなくて、正直言うと、接点が皆無に近い作家でもあった。なのに、そんなことを言われたのは、何故なのか、今になって調べてみると、ふと気になった記述が。

情報、言語によってないまぜになっていく現実と意識をテーマに一連の作品を展開する。
独自の言語感覚をもち、(略)

まぁ、ここまで、大上段に構えているわけでもないんだけど、確かに、情報と言葉を利用して、現実空間と思想空間をごちゃ混ぜに引っかき回していくところが在った。場面転換時に、いきなり夢の中に持ち込んで、夢と現との境界を曖昧にしながら、転換することなく、きっちり分離させてみせる、ってアクロバティックな展開をするとかね。
セラムンの二次創作の時は、ウラヌスに仕える五人の戦士を設定して、彼らをメインに据えた話を展開したんだけど……この時に、彼らに内在する戦士としての力が芽吹くときと、戦士として覚醒するときの二つの場面に、夢と現を曖昧にするような展開を利用したんだよなぁ。まぁ、この話に関しては、まだ完成しているわけじゃないから、何らかの形で、完成させないとマズいんだけどね。

そう言えば、このところ書いてるユリラス話では、こういう話を組み立てる時の癖、ってのは出てないと思うんだけど、今のまま書き続けていると、どっかで、この癖が出てくるような気がするんだよなぁ(汗)。