取り敢えず、一言かなぁ。

nto216氏方面

『評価は残酷に完成度を暴き出す』

何よりも、正統な評価が出たことに安堵。ってぇか、向こうの文化じゃ、バッシングに苦悩すること自体が、理解できない可能性が高いな、と。
異国の映画祭に出品するつもりだったら、圧倒的な説得力を提示するか、絵で魅せる*1かしなければならない、って事で。
そう言えば、TRPGのセッションに、ホストとしても、また、ゲストとしても、参加することが多かったとき、或る集団を『外側』から見る立場のキャラを作ることもあったっけ。そうしないと、見えてこないモノもあったから。
「何かを創る」、と言うことは、「何かを分析する」ことにも通じるのではないかと。「分析する」ことを忘れて創ったモノには、説得力がそなわらないんじゃないかなぁ?

集中プレイ

「集中してプレイする」、ってスタンスには、二つのベクトルがありますな。
「何もかもを忘れてそれに埋没してしまう」場合と、「スイッチを切り替えるように、少ない回数のプレイに集中する」場合と。
弾幕の場合、回数をこなせ、とは言うけれども、集中力を切らさない限りの連続プレイなら、意味もあるんだろうけど、切れているのにダラダラやっても、技量の向上には繋がらないんじゃないだろうか? とか。

そう考えると、一息つけるcaveシューや東方は、良く作ってあると思うのですよ。

Gyu氏方面

いろいろ言葉遊び

日本における肉食文化ですが、イノシシやうさぎなどは、食されていたのですが、牛食に関しては、それが労働力でもあった影響から、食されることは少なかったように記憶してます。牛鍋(後のすき焼き)が登場したのは、文明開化の明治時代の話ですから、結界が張られ、完全に隔絶された時期と、牛を食べ始めた時期は、良い感じに重なります。そのために、幻想郷でも、牛を食べる、と言う概念が認識されているかどうか、となると、微妙です。
蓬莱の人の形となった、妹紅、輝夜、永琳の二人が、どのように時代を下ってきたのか、と言うところを考慮すれば、また別の予測解を導き出せるかも知れませんが、そこまでやるには、blogと言う場は不向きですな(汗)。
閑話休題
また、外界にしても、その時代に輸入する、と言う概念が有ったか否か、となると、無かった、と考えるのが自然の筈です。何せ、紅茶が誕生した経緯が、烏龍茶の輸入から、という時代に比較して、冷蔵輸送・冷凍輸送の技術が発達しているとは思えない時代ですから。

そうなると、無難な方向で考えると、外界から持ち込まれたモノで、チルノが知った、と言うことに。そうなると、チルノって実は博学、って事になりかねないけど、知識があるのと、知恵があるでのは、話が違ってきますし、また、「冷凍・英吉利牛」なんて言葉を知って、大妖精*2あたりから、その意味を説明されたとしても、チルノの認識が、『凍らせるってことは、あたいの能力と一緒じゃん』で止まったなら、って事ですね。
結論。チルノは、言葉を知ってても、おばか。_〆(。。)

Extraでのこと

ラスペにならず、喰らいボムだったら、問題ないのでは?
俺は、反応が追っつかずにラスペになってますが。

*1:キタノブルーと呼ばれる、北野武監督の青の使い方とか

*2:紅魔郷2面中ボス